深夜のオフィスで、プログラマーの山田は疲れた目をこすりながらコードを眺めていた。画面には無数の文字列が並び、その中に奇妙な文字列「1QAQ1」が目に入った。外では雨が静かに降り続け、窓ガラスを伝う雨粒が不規則な影を作っていた。
「これは何だろう?」と山田は独り言を呟いた。
普段からプログラムのバグ修正を担当している山田だが、この文字列は見覚えがなかった。データベースを検索しても、このような形式の識別子は存在しないはずだった。最近、会社の古いシステムの刷新プロジェクトを任されており、レガシーコードの解析に追われる日々が続いていた。
翌朝、同僚の鈴木に相談すると、彼女も首を傾げた。「1QAQ1?面白い形式ですね。まるで暗号みたいです」
鈴木は入社3年目の気の利く後輩で、山田とはよくペアプログラミングをしていた。
「でも、山田さん、これって単なるバグじゃないんですか?」と鈴木が言った。
「いや、このコードの他の部分を見ると、かなり計画的に使われているんだ。誰かが意図的に入れたものだと思う」
その日から、山田は仕事の合間を縫って「1QAQ1」の謎を追い始めた。コードの履歴を遡り、古いドキュメントを漁り、かつての開発者に連絡を取った。しかし、多くの開発者はすでに退職しており、残っている人々も心当たりがないと言う。
ある日、山田が会社の古い書類を整理していると、一枚の写真が目に留まった。それは10年前の社員旅行の集合写真で、その中に見覚えのない女性の姿があった。写真の裏には「開発部 青木朝子」と書かれていた。
「青木…Q.A…もしかして」
直感的なひらめきを感じた山田は、人事部に古い記録の確認を依頼した。すると、青木朝子という女性が10年前まで在籍していたことが分かった。彼女は優秀なプログラマーとして知られていたが、出産を機に退職したという。
さらに調べを進めると、彼女の娘が1月生まれであることも判明した。そして、ついに真相が明らかになった。1QAQ1は、娘の誕生月(1月)と母親のイニシャル(Q.A.)を組み合わせて作った特別な識別子だった。最後の1は、「一番大切な人」という意味を込めていたのだ。
山田はその事実を知って、深く感動した。無機質なプログラムの中に、母親の愛情が静かに息づいていたのだ。
一週間後、山田は青木の現在の連絡先を突き止めることができた。勇気を出してメールを送ると、思いがけず早い返事が来た。
「その識別子のことは、もう忘れていました」と青木は書いていた。「当時は、仕事と育児の両立に不安を感じていて、コードに娘への想いを忍ばせることで、何とか踏ん張っていたんです。今、娘は中学生になり、私も別の会社でプログラマーとして働いています。懐かしい記憶を思い出させていただき、ありがとうございます」
その後、山田は新システムの設計において、1QAQ1という識別子をそのまま残すことを提案した。「レガシーコードの中には、単なる機能だけでなく、開発者の想いや歴史も詰まっています。それを大切にしたいんです」というプレゼンテーションは、上司たちの心を動かした。
それからというもの、山田は自分のコードに「1QAQ1」という文字列を見つけるたびに、どこかで幸せに暮らしているであろう青木親子の姿を想像するようになった。そして、自分もいつか誰かの心に残るようなコードを書きたいと思うようになった。
プログラムの中の小さな謎は、時として思いがけない人間ドラマを教えてくれる。そして、技術の進歩の中にも、確かな人間の温もりが息づいているのだ。
山田は、夜更けのオフィスで静かに微笑んだ。画面に浮かぶ「1QAQ1」の文字列が、いつもより少し輝いて見えた。