「洒落怖」を「洒落柿(しゃれがき)」だと思い込んでいた時期が、僕にもありました。

「洒落怖」を「洒落柿(しゃれがき)」だと思い込んでいた時期が、僕にもありました。

中学生の頃、家族が寝静まった深夜にダイヤルアップ接続の甲高い電子音を響かせ、恐る恐るインターネットの海を泳ぎ回っていた時代のことです。

テレホーダイの時間帯が訪れると、細い電話回線を通じて世界が青白いモニタの中に流れ込んでくる。

その薄暗い掲示板の片隅で頻繁に見かける四文字の単語を、僕は画面の粗いフォントのせいもあって、何の疑いもなく「洒落柿」と空見していました。

どこか京都の老舗和菓子屋が桐箱に入れて並べているような、粉を吹いた上品な干し柿の銘菓。

あるいは落語の枕にでも出てきそうな、粋でお洒落な大人の嗜み。

風流な茶請けの話題がなぜこんな深夜のアンダーグラウンドで熱心に語られているのだろうと、十代前半の僕は本気で不思議に思っていたのです。

ある蒸し暑い夏の夜、画面に並ぶ「八尺様」や「くねくね」、「リゾートバイト」といった奇妙な単語に誘われ、僕はついにその暖簾をくぐってしまいました。

当時の液晶画面は今よりも発色が冷たく、六畳間の暗がりを青白く切り取っていました。

重いページが数行ずつじわじわと読み込まれるたび、そこに立ち現れるのは風雅なお菓子などではなく、日常のすぐ足元にぽっかりと開いた底なしの異界の記録でした。

見渡す限りの緑が広がる田舎のあぜ道、深夜の曲がりくねった峠道、錆びた看板が転がる廃村の集落。

どの話も、最初はどこにでもあるありふれた風景から始まり、登場人物たちのささやかな好奇心や日常の違和感をきっかけに、二度と引き返せない狂気へと滑落していく。

それでも僕の脳内では、まだその異界の名が「洒落柿」という渋くて奥ゆかしい響きで再生されていました。

なぜ怪談のまとめサイトがそんな雅やかな名前を冠しているのか深く考えもせず、ただただ『コトリバコ』や『姦姦蛇螺』といった禍々しい文字列に心臓を縮み上がらせていたのです。

何かの比喩なのだろう、怪談の後味を渋柿の渋みにでも例えた洒落たネーミングに違いないと、勝手な解釈で自分を納得させていました。

真実に突き当たったのは、その世界にのめり込んで一週間ほど経った頃でした。ある有名なまとめスレッドの冒頭に固定されていた、過去ログのテンプレートを何気なく読んだ瞬間です。

【死ぬ程洒落にならない怖い話を集めてみない?】

「……こわ、か」

暗がりの中で、間抜けな声が漏れました。

柿の「木」ではなく、恐怖の「怖」。一文字の部首を脳内で勝手に補い、勝手に風流な砂糖菓子に仕立て上げていた自分の浅はかさに、顔から火が出るほどの羞恥が走りました。

しかし、それ以上に恐ろしかったのは、そのあまりにもストレートで救いのない語源が突き刺さった瞬間、僕が無意識に張っていた安全なフィルターが音を立てて砕け散ったことです。

風流な大人の寄り合いだと思い込んで覗いていた穴は、最初から「死ぬ程洒落にならない」純度百パーセントの奈落そのものでした。

「洒落柿」という甘美で安全な勘違いは、わずか数秒で冷たい空気の中に霧散していきました。

勘違いが解けてからの恐怖は、前週までの比ではありませんでした。

看板の掛け違えを正した途端、物語の輪郭が生々しい毒気を持って眼前に迫ってきたのです。喉がからからに渇き、唾を飲み込む音すら部屋に響く。

背後にあるクローゼットのわずかな隙間、重いカーテンの向こう側の夜闇が、急に確固たる質量を持って僕の背中を圧迫し始めました。

階下のトイレへ続く廊下は果てしない暗黒のトンネルに見え、カタカタとキーボードを叩く指先は血の気を失っていきます。

デスクトップPCの排熱ファンが吐き出す低い唸り声さえ、床下から響く誰かのくぐもった呻き声のように聞こえました。

洒落にならないからこそ、洒落怖。

自分が犯した読み間違いの恥ずかしさと、それをあっさりと飲み込んで塗りつぶしてしまう無骨な恐怖。

怖くてブラウザのタブを今すぐ閉じたいのに、マウスのホイールを回して次の行を追わずにはいられない不可解な引力に捕らわれ、僕は毎晩、東の空が白むまで魂を吸い寄せられていました。

あれから長い年月が流れ、大人になった今でも、深夜にネットの片隅で怪談を読んでは、あの頃と変わらない底知れない闇の気配に息を呑む夜があります。

画面がパソコンの分厚いモニタから薄いスマートフォンに変わり、どんなに手軽に触れられるようになっても、そこに綴られた生々しい恐怖の切れ端は少しも風化していません。

暗い部屋で一人、画面のスクロールを止めた瞬間、ふっと背後を通り抜けるあの冷たい気流の感触は、十代の頃と何も違わないのです。

ふとした秋の夕暮れ、民家の軒先に吊るされた本物の渋柿を見かけると、今でも胃の奥がきゅっと冷たくなります。

橙色の皮を剥かれ、冷たい風に晒されながら黒ずんでいく果実の姿に、あの青白いモニタの光が重なるのです。

何気ない日常の皮をほんの一枚剥いだすぐ裏側で、あの「洒落にならない」深淵が今も口を開けて待っている。

渋みと甘みの境目にある熟れすぎた果実のように、少年時代から続く冷たい戦慄は、今も僕の背筋の奥底に、確かに息づいています。

「洒落怖」を「洒落柿(しゃれがき)」だと思い込んでいた時期が、僕にもありました。

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