自然の風ってやわらかいんだな

1QAQ1は、この夏をずっとエアコンの効いた部屋の中で過ごしてきた。

フリーランスとして自宅で仕事をするようになってから、締め切った部屋で一日中パソコンの画面を見つめる生活が当たり前になっていた。

真夏の午後、その日もいつものように冷房を効かせた部屋で作業をしていたのだが、ふとした瞬間に、体の奥のほうに言葉にしがたい重さを感じた。

皮膚の表面は確かに涼しいのに、指先の先まで冷え切って、呼吸だけがどこか浅く、薄い膜が一枚張られたような窮屈さがあったのだ。

しばらく手を止め、椅子の背にもたれてぼんやりと天井を見上げていた1QAQ1は、やがて手元にあったエアコンのリモコンを取り上げた。

そして、深く考えるより先に、運転停止のボタンを押していた。

低い唸り声を上げ続けていた機械が静かに止まると、部屋にはしんとした静けさが訪れた。

1QAQ1は立ち上がり、南向きの大きな窓へと歩み寄る。サッシに手をかけ、思い切って引き開けた瞬間、レースのカーテンがふわりと大きく膨らみ、外の光と一緒に大気そのものが部屋の中へ流れ込んできた。

それは山の緑の匂いと、陽射しをたっぷり吸い込んだ土の気配を含んだ、うねりのある空気だった。

エアコンの風のように一定の温度でも、規則的な強さでもない。

頬をかすめる微かなそよぎになったかと思えば、次の瞬間にはシャツの襟元をくすぐるようにすうっと通り抜けていき、じんわりと汗ばんだうなじの熱を優しくさらっていく。

1QAQ1は畳の上に大の字になって目を閉じた。

すると、全身の毛穴が一つずつほどけていくのが分かった。

どこか遠くで鳴る風鈴の微かな音、庭の木の葉が擦れ合うサラサラという囁き。風が通り過ぎるたびに、部屋の中の空気だけでなく、頭の中に澱のように溜まっていた締め切りのことや、細々とした心配事までも、一緒に外へ運び去られていくような気がした。

予測のつかない気まぐれな風の呼吸に身を委ねていると、1QAQ1は、自分がただ効率よく冷やされるべき「物体」ではなく、この大きな自然の循環の中にたしかに生きているひとつの生き物なのだということを、久しぶりに思い出していた。

心地よい冷たさと、ほのかな温もりが交互に肌を撫でる中、遠くの雲がゆっくりと形を変えていく気配を感じながら、1QAQ1は静かにまどろみの中へと沈んでいった。

 

その眠りから覚めたとき、窓の外はすでに橙色に染まりかけていた。

夢のように心地よかった午後の時間を懐に、1QAQ1は数日後、久しぶりに取引先との打ち合わせのために都心のオフィスビルへ足を運ぶことになった。

締め切られたビルの中は、設定温度二十四度の冷風にどこまでも均一に満たされていた。

定規で測ったように正確で、無機質なその冷気は、効率よく熱を奪ってはくれるものの、肌の水分だけでなく、胸の奥にあるはずの柔らかい感情までも、少しずつ凍りつかせていくようだった。

会議室で資料を交わし、パソコンの画面と向き合い続けるうちに、1QAQ1の中では、あの日部屋の窓を開けたときに感じたはずの軽さが、いつの間にかどこかへ押し込められてしまっていた。

一日の仕事を終えてビルの外に出ると、アスファルトの照り返しと室外機から吐き出される熱風が混ざり合い、思わず首をすくめるほどの息苦しさがあった。

1QAQ1はいつもならそのまま地下鉄の駅へ直行するはずだったが、その日はなぜか気まぐれに遠回りをして、川沿いの土手へと足を向けていた。

階段を上がり、堤防の上の遊歩道に立つと、視界が一気に開けた。

街の人工的な光が、ゆらゆらと水面に揺れている。ふと足を止めた瞬間、川下のほうから、ひと筋の風がすうっと吹き抜けていった。

それは、ビルの中で吐き出されていた直線的な冷気とはまるで違うものだった。

草の青い匂いと、水面の冷たさと、暮れ残った夕餉の気配を幾重にも織り込んだ、丸みのある空気の塊。強張っていた両肩を、まるで古くからの友人がそっと包み込むように撫でていく。

額に張り付いていた前髪をふわりと持ち上げ、シャツの隙間をくぐり抜けて、一日中縮こまっていた胸の奥の結び目を、指先ひとつ触れることなく、ゆっくりとほどいてくれた。

強すぎず、弱すぎず、押さえつけることもなく、ただそこに寄り添うように流れていく。

1QAQ1は深く息を吸い込んだ。肺の隅々まで澄んだ夜の空気が満ちていき、張り詰めていた心の輪郭が、じんわりと柔らかくほどけていくのが分かった。

 

目を閉じ、頬を撫でるその気まぐれな優しさに身を委ねながら、1QAQ1は数日前、畳の上でまどろみながら感じたあの感覚を、ふいに思い出していた。

同じ「風」という言葉で呼ばれていても、機械が作り出すものと、この世界そのものが吐き出すものとでは、まるで別の生きものなのだと、あらためて実感する。

一つは、正確で、効率的で、確かに人を助けてくれる。

しかしそれだけに寄りかかりすぎると、いつの間にか心の芯まで固く縮こまってしまう。

もう一つは、気まぐれで、予測がつかず、時には強すぎたり弱すぎたりする。

けれどその不揃いさの中に、山の匂いや、水の記憶や、季節の呼吸そのものが溶け込んでいて、触れるたびに、こわばっていた何かをそっと解き放ってくれる。

1QAQ1はぽつりと呟いた。

「自然の風って……やわらかいんだな」

その言葉は、誰に向けたものでもなく、ただ静かに夜の川面へと溶けていった。

川下から吹き上げてくる風は、そんな1QAQ1の呟きさえも軽々とすくい上げ、遠くへ運んでいくようだった。

翌朝、1QAQ1は少し早く起き、いつものようにエアコンのスイッチへ手を伸ばす前に、まず窓を開けることにした。

冷たい機械の風にすべてを任せてしまうのではなく、時にはこうして、気まぐれで不揃いな自然の呼吸に身をゆだねること。

それがどれほど自分の心をやわらかく保ってくれるかを、1QAQ1はもう知っていたからだ。

朝の光の中、レースのカーテンがまたふわりと膨らみ、新しい一日の風が、静かに部屋の中を通り抜けていった。

自然の風ってやわらかいんだな

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