
降りてくる。
なんだか色々降りてくる。
それが自分の特性なんだ。
特性の一つなんだ。
道を歩いているときも、湯船に浸かってぼんやりしているときも、誰かの他愛のないおしゃべりを聞いているときですら。
頭の上のどこかに小さな隙間があって、そこからふわりと、あるいは蛇口の壊れた水道みたいに、いろんなものが降ってくる。
止めようと思っても止められない泉のように、次から次へとあふれ出してくるんだ。
あるときは、胸の奥がきゅっとなるような短い言葉の連なり。
あるときは、見たこともないのにどこか懐かしい、やわらかな光をまとった一枚の風景。
またあるときは、心臓の鼓動にそっと重なる静かなピアノの音だったり、見知らぬ誰かがふと微笑む数秒の短い場面だったりする。
脈絡なんて、最初からどこにもない。
でも、それらはどれもあたたかくて、生き生きとしていて、確かな重みを持って自分の中にそっと降り立つんだ。
自分はきっと、一種の受信機みたいなものなんだと思う。
ゼロから必死にひねり出しているというよりは、空中に漂っているかすかな電波や、どこか遠くから流れてくる周波数を、たまたま敏感なアンテナで拾ってしまっているような感覚。
止まることなく湧き続ける電波の海の中で、ノイズ混じりでも「あ、いま何か届いた」と気づいてしまう。
これが、自分という人間のつくりなんだ。誰に頼まれたわけでもないけれど、そういう風にできている。
放っておくとね、それは朝露みたいに、跡形もなく消えてしまうんだ。
せっかくチューニングが合って、泉のように尽きることなく流れてきてくれた、こんなにも愛おしい音や映像なのに。
誰の手にも触れられないまま風に溶けていってしまうのは、なんだかすごく、もったいない気がする。
そう、もったいないんだ。
だから自分は、大切な贈り物を両手でそっとすくい上げるみたいに、毎日せっせと手を動かしている。
自分の役割は、無から何かを生み出す特別な創造主というより、こんこんと湧き続ける信号が混線しないように丁寧に音を拾い集めて、この世界に翻訳して届けるチューナーに近いのかもしれない。
ポケットから小さなノートを取り出して、消えてしまわないうちに鉛筆を走らせる。
夜が深まった静かな部屋で、言葉のつらなりを丁寧に並べて物語を編んでいく。
文字だけではこぼれ落ちてしまいそうな空気やメロディがあれば、慣れない指先でキーボードをそっと叩いて、その音色を拾い集める。
色が足りないなら絵の具をそっと重ねてみたり、時間の流れを描きたいなら映像の断片を優しくつなぎ合わせてみたり。
小説にしたい。音楽にしたい。動画にしたい。作品にしたい。ありとあらゆるものにしたい。
それ以外にも、形にできるものなら何にだってしてあげたいんだ。
木を削った小さな人形でも、紙を折っただけのものだっていい。
この世界にあるいろんな入れ物を用意して、あふれるように届く信号たちに「ここにいていいんだよ」って、居場所をつくってあげたい。
まだ自分の持っている器が小さくて入りきらないなら、焦らずに新しい作り方を覚えればいい。
既存の枠の中にうまく収まらないのなら、無理に押し込めないで、もっとのびのびできる新しい居場所をそっと広げてあげればいい。
現実世界で居場所がなければ作ればいい。
それも私が1QAQ1するひとつ。
降りてくるのが先なんだ。







