
お金がない。
本当に、冗談抜きでお金がないのだ。
ATMの青白い液晶画面に表示された預金残高を、瞬きも忘れて凝視する。
機械の不具合か何かの見間違いであってくれと、喉の奥を締め付けるような祈りを込めながら画面を睨みつけても、ドットで描かれた数字が増える気配など微塵もない。
桁数を数え直すまでもなく、そこに冷たく刻まれているのは、わずか三桁の数字と、申し訳程度に添えられた円マークだけだ。
手数料すら引き出せないその端金が、今の僕の全財産であり、僕という人間の社会的な現在地そのものだった。
ポストを覗くことすら、今や激しい恐怖を伴う儀式と化している。
隙間から溢れそうになっているのは、白や薄い青の封筒ではない。
毒々しい赤や黄色の警告色をまとった督促状の束だ。
住民税、国民健康保険料、年金。容赦なく加算されていく延滞金の文字が、視界の端をちかちかと焼き焦がす。
それに加えて、毎月リボ払いの罠のように膨らみ続けるクレジットカードの借金。
毎月、血を吐くような思いで工面した数万円を口座に放り込んでいるはずなのに、元金は笑ってしまうほど減らない。
返済シミュレーションの画面を開くたび、利息だけをただ払い続けているだけの底なし沼に足を取られ、じわじわと沈んでいく感覚に眩暈がする。
返すために削り、削るために生きているような、終わりの見えない悪夢。
ライフラインの停止予告通知は、もはや見慣れた日常の風景になり果てていた。
カチリとスイッチを押しても、電球は灯らない。
暗闇の中で蛇口を限界まで捻っても、錆びた配管が小さく鳴くだけで水一滴落ちてこない。
真冬の夜にガスを止められ、氷のような冷水でかじかむ手を洗い、ダウンジャケットを着込んだまま布団に潜り込んだときの、あの骨の髄まで凍りつくような惨めさはどうだ。
人間としての尊厳の境界線が、少しずつ、確実に削り取られていく音が聞こえるようだった。
財布を開けば、利用停止になったプラスチックの板きれがやけに整然と並んでいるだけで、肝心の紙幣の姿はどこにもない。
革の隙間に指を滑らせ、底に沈んでいた硬貨を二枚、ようやくつまみ出して指先で弾いてみる。
チリンと頼りない金属音が、がらんとした湿っぽい六畳間のアパートに虚しく響いた。
これで買えるのは、せいぜい見切り品の安い食パン一袋か、特売のカップ麺が二つ。
今日を凌げたとして、明日以降の食費をどうやって工面するのか。
その極めて現実的で逃げ場のない問いが、冷たく重い鉛の塊となって、四六時中胃の腑に重たく居座り続けている。呼吸をするたびに、胸の奥がきしむように痛む。
部屋を見渡すと、転がっているのは書きかけの原稿用紙や、使い古した絵の具のチューブ、埃をかぶった安い機材ばかりだ。どれも金には換わりそうにない。
リサイクルショップに持ち込んだところで、二束三文にすらならないガラクタの山。
世の中の価値基準からすれば、今の自分はただの「無一文の厄介者」であり、生存する資格すら怪しい落伍者に過ぎないのだろう。
社会の歯車から完全に脱落し、誰にも顧みられることなく、この冷たい部屋の隅で静かに朽ちていく己の姿が、生々しい輪郭を持って脳裏をよぎる。
胃袋が、飢えと緊張から痙攣するようにギリリと鳴った。
けれど不思議なことに、その底知れぬ絶望の冷たさに完全に浸りきる直前、凍え切った胸の奥の澱みの中で、別の火種がパチリと音を立てて爆ぜた。
空っぽの胃袋が刻む、鈍く不快な痛み。それが神経を逆撫でするうちに、妙に張り詰めた、鋭利なビートのように響き始めていく。
完全に退路を断たれ、背中が壁にめり込むほど追い詰められたこの瞬間、なぜか目の前の世界の色が、異様なまでの解像度で鮮明に焼き付いていくのだ。
底をついた残高、ひび割れた窓ガラス、すきま風に揺れる薄汚れたカーテン、街灯の鈍い光に照らされて部屋の中をゆっくりと舞い踊る埃の粒。
何もない。
金もない、社会的信用もない、明日の保証なんてどこにもない。
すべてを失い、完全にゼロに、いやマイナスに叩き落とされた場所でこそ、研ぎ澄まされる野生のような感覚があった。







