
とんでもない話だな。
深夜のファミリーレストラン、ドリンクバーの氷がカランと音を立てて溶けるのを見つめながら、僕は思わず乾いた笑いを漏らした。
向かいの席に座る幼馴染の修司は、冗談を言っているようには見えなかった。
目の下には濃い隈が張り付き、テーブルの上に置かれた両手は小刻みに震えている。
彼が今さっき語り終えた内容は、常識的な脳みそを持つ人間なら即座に病院を勧めるレベルの妄想だった。
修司の勤める大手食品メーカーの地下倉庫には、何十年も前に極秘裏に開発された「味覚を過去に巻き戻す缶詰」が眠っているのだという。
それを一口食べると、舌の記憶が幼少期まで逆流し、世界中のあらゆる食べ物が「母親の作った卵焼きの味」あるいは「駄菓子屋の十円ガムの味」にしか感じられなくなるらしい。
「笑い事じゃないんだよ」修司は声を潜め、周囲の客を警戒するように視線を走らせた。
「その缶詰の蓋が、今日の夕方の棚卸しで一つ開いてたんだ。
社内の人間が何人か、すでに味覚を乗っ取られてる。
役員フロアの連中は今、高級フレンチの試食会で全員『ビッグカツの味がする』って泣きながら拍手してるんだぞ」
「……それで、お前は逃げてきたってわけか」
「当たり前だろ! 明日の朝には全社に配給される予定なんだ。
僕の舌まで、二十年前の粉末ジュースの味で固定されたらたまったもんじゃない」
僕は冷めきったアメリカンコーヒーを一口すすった。いつも通りの、少し焦げ臭い苦味が舌の上に広がる。
もし修司の言うことが本当なら、この安っぽい苦味さえも、明日にはチープなオレンジシロップの味に上書きされてしまうのだろうか。
「信じるか信じないかはお前次第だ」修司は青ざめた顔で立ち上がり、伝票を掴んだ。
「僕はこれから、まだ味覚が正常なうちに、街で一番辛い麻婆豆腐を食いに行く。付き合うか?」
僕は少しの間だけ考え、席を立った。
とんでもない話だが、もし本当なら、退屈な日常の終わりを見届ける口実としては最高だった。







